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母は私を産んでそのまま入院。祖母に育てられ、父親の仕事で3歳で海外に行き、たまに母が退院してきたり祖母が支援で来た時以外、海外ではベビシッターに育てられた。母と普通に暮らし始めた記憶があるのは小学校高学年くらいだろうか?その後も母と言うよりは姉のような存在で、毎週末日暮里の祖母の家で過ごしていた。
自己分析ではこれが大きく影響していて、若い頃から今に至るまで、子どもと私は切り離せない生活を送っている。 高校生の時、唯一やっていたバイトがベビシッター。先生と言った明確な職業ではなく、漠然と将来の夢は教育者になることだった。 大学生では文学部に入学し、専攻を決める大学2年の時には迷わず教育学に進んだ。ただ教職免許には興味がなく、学内では学問としての教育哲学を学び、学外では具体的な活動 - 子ども向けのボランティア活動(Big Brothers and Sisters)や保父さんになる勉強をしていた。 大学を卒業して結婚をし、たくさんの子どもに恵まれたいと、4人の子を産んでもらい育てた。その間、子育てはもとより、保育園(文京区南保育園)の父母会会長、小学校(文京区駒本小学校)のPTA会長、子ども向けのボランティア活動(わくわくクラブ)など、30代と40代の生活の中心は子どもにあった。 そしてここ10年間は文京区と荒川区を往復して暮らしていたが、子育てを終えて地元である荒川区に戻った今、写真を通して荒川区の子どもや家族を笑顔にし、事情がある方々にもボランティアを通じて貢献したいと、色々模索している。 業界最低水準の料金で写真撮影が提供できる理由、そして提供しているボランティア撮影については別ブログ/ページをご覧ください。 荒川区でのボランティア撮影のご相談は、お気軽にご連絡ください。
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